加納 竜 さんとの対談|外壁・屋根の塗替え(建築塗装工事)エアブラシアートなど塗装に関しては株式会社HAKKOH(八興)へ

株式会社HAKKOH(八興)
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屋根外壁塗装38年の実力
加納 竜

ゲストインタビュアー
加納 竜
(俳優)

長年の経験を生かした確かな仕上がり

どんな現場にも果敢に挑み高度な技術で塗装を仕掛ける職人
「お客様のニーズに応える形で、満足される塗装をしていきたい」
一般建築の塗装・美装・改修を手掛ける株式会社HAKKOH(八興)。仕事に妥協を許さない外川社長をはじめ、スタッフには高度な技術力と強靭な精神を持つ真の職人が揃っている。「職人は日々の地道な努力があってこそ、確かな仕事ができるのです」と語る外川社長に、俳優の加納竜さんがお話を伺った。

加納 学業を終えられて、すぐに塗装の業界に入られたのですか。
外川 中学を卒業して、1年半くらいコックをしていました。だけど、長続きしなくて北海道に行ったのです。1カ月くらい放浪しましたね。職を探したのですが、当時17歳ということもありまして見つかりませんでした。そこで、岡山県の湯原温泉にいる姉のところに行き、そこで塗装の仕事をしたのが始まりです。最初は見習いなので、お金も少なくて貧乏していました。
そして一人の職人と出会ったのです。田辺利雄さんという方で、家に呼んでもらって食事をご馳走になったり、仕事においても大変お世話になりました。それから1年後、田辺さんの紹介で大阪・吹田市千里丘の佐武塗装店に行くことになりましてね。ここからです。職人というのはこれだけやれるのか、何もかも吹っ飛びました。仕事もやるけど遊びもやる。その後の人生の基盤をそこの親父さんー佐野武彦氏に開花させていただきました。
加納 いつごろから塗装で身を立てようと思われたのでしょう?
外川 28歳のときに大阪の佐武塗装店を辞めまして、山口県の田布施町に引っ越しました。子供が学校に上がる1年前くらいだと思います。当時、大阪の学校が大変なときで、子供を育てるなら田舎の方がいいかなと思ったのと、自分自身今がいいかなと思いまして決断いたしました。大阪では鉄塔や橋梁などを塗装していたのですが、山口に来てからは建築塗装を始めました。同じ塗装なのに仕事の内容が全然違いますね。慣れるのに3年くらいかかりましたね。精神論者じゃないのですが、技術的なことはやればいつかはできると思います。早いか遅いかだけです。私は大阪で鍛えてもらったことが、本当に財産になりました。その後、人生の転機といいますか、独立へと進んでいきました。
加納 主にどういったお仕事をされていたのですか。
外川 学校やアパートなどの改修・塗装、一般住宅の塗り替えです。また当社は、御影石調吹き付け(チャイナトーン)責任施工店でもあります。
加納 技術はもちろんですが、体力や長年の勘が大切になるお仕事ですね。
外川 ええ。私も現場に出れば働きますので、体の方は大丈夫です。仕事を楽しくするために、今までやってきた経験を生かす形で、何事にも挑戦していきたいと思います。
加納 では最後に、今後の展望をお聞かせ下さい。
外川 今年からは住宅の塗り替えに力を入れていきたいと考えています。オリジナルなもので……金額以上の仕上がり、満足感の提供を心掛けて精進しようかと思います。若い力も育ってきました。今からが始まりです。
加納 これからも頑張ってください。本日はありがとうございました。
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